なまら好きやねん北海道

都会生活にうんざりし、海外生活も経験した関西人が北海道の素晴らしさに感動しながら、その生活ぶりを紹介するブログ

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効率化による大量生産と使い捨て時代

最近、PCや携帯音楽プレイヤーが次々と故障し、修理のためにメーカーと
やり取りをする機会があったが、昔とは色々と状況が変わっているのに
驚いた。

まずは携帯音楽プレイヤー。

私が使っているプレイヤーは誰もが知っている海外の某有名メーカーのもの。
私が住んでいる田舎町に修理の受付窓口があるはずもなく、札幌のストアまで
持って行った。

そこでまず驚いたのが、修理の相談をするのに予約が必要だということ。
私がストアを訪れたのは午前11時。にもかかわらず、最短で予約が取れるのは
午後4時だという。幸いこの日は札幌宿泊予定だったので、他の用事を済ませて
再度訪問することが出来たが、いくら土曜とはいえ、5時間待ちというのは
びっくりだ。

午後4時に訪れて、話を聞いてみると、修理代金はどんな内容でも一律だという。

後でネットで調べてみると、どうやら日本には修理工場がないため、
修理はせずに、全て新品や同等品との交換になるということらしい。

このプレイヤーもそうだが、最近は家電製品の価格が安くなったため、
製品の販売価格に対する修理代金は割高で、保証期間が終わってから
故障した場合、高い修理代金を払うぐらいなら、新品を買った方が良いと
思ってしまうことも多い。

次に、PC。

こちらも有名な某海外メーカーの製品。私はコストパフォーマンスの点から
PCは基本的にこのメーカーの製品しか買わないので、これまで何台も使っている。

最近になって、勝手に突然再起動するなど、異常な動作が起きていたので、
診断プログラムを走らせるとハードディスク異常とのこと。幸いこちらは
ぎりぎり保証期間内だったので、オンラインのチャットでヘルプデスクと
やり取りをした後、無償でハードディスクの交換となった。
メーカー側ですぐに宅配業者を手配してくれて、ドライバーにPC本体を
渡すだけ。梱包の必要もなかった。

しかし、同じこの会社の製品でも、保証期間を過ぎてしまうと、修理の相談の
電話をするだけで1回3,000円も相談費用がかかってしまう。
それをかからない
ようにするには、有償で保証期間を延長することもできるのだが、その費用は
決して安くはなく、結局、保証期間を延長するぐらいなら、故障した時点で
新製品を買った方が、コストや期待される性能面の進化を考えると、
有益ということになってしまう。

考えてみれば、昔はTV、ビデオ、冷蔵庫といった家電製品は10万も20万もしたので、
修理代に1万や2万かかったとしても、修理をして使うのが当然だったが、それらの
製品価格が数分の1になってしまった昨今では、修理代があまりに高く感じてしまう。

メーカーは様々な方法で効率化を進め、コストを削減し、製品価格を安くすることに
成功した。しかしその過程で、面倒で手間とコストがかかる保守サービスも
カットの対象になったということだろう。

我々消費者はメーカーのコスト削減努力により、安い製品を手にすることが出来ると
いう点で、間違いなく恩恵を受けている。従って、以前と比べると低下したと
思わざるを得ない保守サービスも受け入れざるを得ないのだろう。

だが、それにしても、ほんの些細な故障でも、致命的な故障と同じだけの修理代金を
請求されたり、修理が必要かどうかの相談にすらお金がかかるというのは、あまりに
消費者側を無視した企業サイドの勝手な論理だと思う。


これも時代の流れだろうか?

しかし、エコという面で考えると、修理代が高いから、使い捨てにして、
新品を購入するというのは決して好ましい流れではない。

もうずいぶん前のことになるが、再生紙利用のコピー用紙の方が、新たに木を
切り倒して作ったコピー用紙より割高だということを知り、その不条理さに
釈然としない思いだったが、再生紙にしても、回収や再生の手間を考えると
新たな木を切り倒した方が効率的と言うことだろう。同じことが家電製品にも
起きているのだ。

今の時代に生産されるものが後の時代にアンティークとして残り、受け継がれていくと
いうことは、もうないのだろうか?



村上春樹氏の「ノルウェイの森」の中で永沢さんの印象的なこんなセリフがある。

『現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを
読んで貴重な時間を無駄に費したくないんだ。人生は短い』


家具にしろ、家電にしろ、アンティークは時の洗礼を受けて残されてきたものだ。
価値あるものは残され、価値の無いものは淘汰される。だからアンティークとして
残っているものには何かしらの価値がある。

しかし残念ながら大量生産の現代にはこの考えは通用しないのかもしれない。

一方で、ラオスを旅行している時にこんなことがあった。

それは以前このブログでも紹介をした、電気すら来ていないというムアンゴイの
村を訪れた時のことであった。村のバンガローに到着するや否や、私のスニーカーの
ソール部分が両足とも見事に剥離して、靴が崩壊してしまったのだ。

なんでよりによって、こんな何もないところでそんなことが起きるのか?
そのタイミングの悪さには閉口したが、人口の少ないこの村には靴屋さんなど
あるはずもなかったので、私はどこかに靴の修理が出来るところがあるはずと、
村中を探してそれらしきところを見つけた。

大量消費が当たり前となっていないこの村では、物が壊れたら修理して使うのが
当たり前であるはずだと思った私の予想は間違っていなかった。

ラオス語の話せない私は、顔馴染みとなった近くのサンドウィッチ屋さんの
女性の通訳にも助けられ、わずかな費用で靴の修理をすることができ、
出来栄えも上々だった。

もしこの修理を日本でやろうとしたら、おそらくは新品の靴を買った方が
得だということになって断念してしまっていたことだろう。


村上春樹氏は「ダンス・ダンス・ダンス」の中でこんなことも言っている。

『そして実に久しぶりにラジオのスイッチを入れ、ロック・ミュージックを
聴きながら西に向かった。大抵はつまらない音楽だった。

・・・・・中略・・・・・

ティーン・エイジャーから小銭を巻き上げるためのゴミのような大量消費音楽。』


数百年の時を経て、今も人々に愛され続けるクラシック音楽は別格として、
ビートルズやストーンズをはじめとする1960年代~70年代前半のクラシック・ロックは
少なくとも数十年の時の洗礼を受けて、現代に受け継がれている。

果たして、現代の大量消費音楽の中で数十年後にも人々に受け継がれる
音楽はあるのだろうか?


家電製品、音楽、そして企業では人間までもが使い捨てにされる時代。


私は仕事や何かの作業において、非効率的なことをするのが大嫌いだ。
しかし、効率化を求めることは一方において、こういった矛盾を生んでしまう。

世の中のあらゆることにおいて、『バランス』というものは常に大切だが、
効率化を求めるあまり、何が大切かという物事の本質を見失ってしまわない
ように、バランスを保たなくてはならない。


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