なまら好きやねん北海道

都会生活にうんざりし、海外生活も経験した関西人が北海道の素晴らしさに感動しながら、その生活ぶりを紹介するブログ

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海外で暮らすということ

ある読者の方からリクエストを頂いたので、今回は私が海外経験を
通して感じた日本と外国の違いについて書いてみたいと思う。

リクエストをくれた方は日本の政治家に嫌気がさして、国外脱出を
試みたことがあるとのことだが、私自身も似たような経験をしている。

大学生のころ、少しは政治というものに関心を持ち始めて知った
日本の政治は腐りきっていた。

自民党独裁で官民癒着が横行し、天下り、公務員優遇、既得権問題などなど、
知れば知るほど日本の政治に絶望感がつのっていった。

さらに、そんな腐った政治が間違っていると知りながら、それを変えようとしない
国民には政治以上に失望した。

私が初めて海外を訪れたのはそんな頃のことだった。

親のすねを思いっきりかじって行かせてもらったカナダの
バンクーバーでのホームステイ。

私は映画やTV番組で外国人の生活の様子は頻繁に見ていたので、
海外での生活というものについて大方は理解しているものだと思っていた。

しかしTVカメラを通して見ていたものは、所詮他人の目という
フィルターを通したものに過ぎず、自分の目で見て、身体で感じた
現実の海外生活はその予想とは全く異なり、私は大きなカルチャー
ショックを受けることとなった。

言いたいことが言えない。あるいは、言いたいことがあっても、
まずは周りの雰囲気を察知し、それに合わせた発言をしないと
いけないということに大きなもどかしさを感じていた私にとって、
自分の考えをそのまま表現できる海外での生活はとても新鮮だった。

本音と建前を使い分けることが、大人としての振る舞いだと
思い込まされていた私は、そうではない世界があるということを
初めて知った。

日本と違って、カナダでは自分がありのままの自分でいられる。
それは予想もしていなかった新鮮な驚きだった。

正しいことは正しい。間違っていることは間違っている。
それをはっきりと言える社会がとても心地よかった。

ただ、ここで言っておかないといけないのは、私が行ったのが
カナダのバンクーバーであったということ。

今になって思えば、これは大きな偶然であった。

私はこのカナダでの滞在の後、アメリカ、南米、オセアニア、
アジア、ヨーロッパなどで色んな国を見てきたが、その中でも、
バンクーバーほど人間がピュアなところは他にないと思う。

同じカナダでもバンクーバーと他の都市、特に東部の都市とでは
全く人間が異なる。

私はその最高の街に初めての海外渡航でたまたま訪れたのだ。

これがもしバンクーバーでなかったら、私の人生はそれまでと
大きく変わることもなく、世の中や人生に関する不満を口にしながら
退屈な人生を送っていたことだろう。

映画やTVでは海外での生活というものが私には全く伝わってこなかったのと
同様に、私がバンクーバーで感じたことをここで言葉で伝えても、
それは所詮私というフィルターを通してのことなので、読んでいる方に
正確に伝わるとは思わないが、それを承知でいくつかエピソードを
紹介しようと思う。

いずれも、ほんの些細な出来事である。

・二十歳そこそこのメンバー10人ほどで湖畔でBBQをしていたときに、
酔っぱらった一人がビールのボトルを湖に投げたのを見て、みんなが一斉に非難した。

・信号のない横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいると、
車は必ず停まってくれる。日本でも歩行者優先というルールは同じはずなのに、
日本では99%停まらない。

・山にピクニックに行った際にゴミ箱があるのにそこに捨てずに
ゴミを家に持って帰った。理由は野鳥や動物が荒らすかもしれないし、
そんな山の中から大量のごみを運んで処分するのは大変だが、
個人個人が持って帰れば簡単なことだからとのこと。

・バスやシーバス(フェリー)で、目が合った人と自然と
会話が始まる。

ここに上げたことは、一つ一つは本当に些細なことだが、
毎日毎日こういうことが積み重なって、日本との違いを嫌というほど
思い知らされた。

しかし、先ほども言ったとおり、これはバンクーバーであったからこそ。
他の街では決して同じではない。

日本には『空気を読む』という言葉がある。
英語にも、それに当たる言葉がない訳ではないが、日本のように
頻繁には使われないし、厳密に言うと、日本の『空気を読む』とは
意味が異なると思う。

言葉で表さなくても、これまでのその場の流れや雰囲気で、
分かるだろうということで、日本で生まれ育った人間なら
当たり前のように持ち合わせている感覚だ。

これはある意味、日本特有の素晴らしい文化だと思うが、
日本でしか通用しない特殊なことであることは理解しておかないと
いけない。

島国という特殊な環境に加え、住民のほとんどが単一の民族という
事情も重なり、日本ではある一定の共通の価値観のようなものが
存在する、もしくは存在すると(無意識にでも)信じている人が多い。

一方で、アメリカは他の欧米諸国と比べても、何でも訴訟を起こすことで有名で、
我々日本人には理解できない場合が多いがこれには事情があると思う。

まず第一に、法律というものがお上から庶民への押し付けという形で
ずっと存在してきた日本とは違って、欧米では法律は自分たちの権利を
守るものとして血を流してきた歴史がある。

また、日本とは異なり、移民によってありとあらゆる人種が混ざり合って
暮らしているアメリカでは、『空気を読む』などということは通用しない。
価値観が異なる民族の間では、何が善で何が悪かということを決めることすら
難しい。

それを無理矢理、一つの統一基準としたものが法律というもので、
異なる価値観を持った人間が共存していくには法律は必要不可欠なのだ。

つまり、イデオロギーの違いが存在する中で、問題を解決するには
法に頼らざるを得ず、自ずと訴訟も増えるのではないだろうか。

『空気を読むこと』やある一定の範囲内の共通の価値観を持つことで、
色んな問題が起きにくかったり、自然と解決することに慣れている
日本人はイデオロギーの違いという問題があることにすら
気づいていない人が多いと思う。

『イデオロギーの違い』という日本人にはあまりなじみのない言葉を
説明するのに、大学の法哲学の講義で聞いたとても分かりやすい話がある。
細かなストーリーや正確な数字は覚えていないがこんな感じだ。

3人の兄弟がいて、それぞれ羊を飼って生活をしていた。
長男は1000頭の羊を飼い、次男は100頭、三男は200頭の羊を
飼っていたが、あるとき災害にあって三男が全ての羊を失ってしまった。

可哀想に思った長男は100頭の羊を、次男は50頭の羊を
弟に与えた。その後、三男は成功して、羊を300頭まで増やしたが、
不幸にも亡くなってしまった。

そこで、兄弟は300頭を二人で分けることにしたが、長男の言い分は
『それぞれが弟に上げた羊の数は2:1なので、300頭は2:1の
比率で分けるべきだ』と主張したが、次男の言い分は『自分は持っている
羊の半分も弟に上げたが、兄さんが上げたのはたったの10分の1じゃないか。
自分の方がたくさんの羊を受け取って当然だ』と主張する。

人情話が好きな日本人には、自分の財産の半分を弟にやった
次男の主張の方が人気がありそうだが、資本主義的な
考え方をすると、正しいのは長男となる。

では、実際にどちらの言い分が正しいのかということになると、
これは価値観の違い、つまりイデオロギーの違いに行きついてしまって、
どちらが正しいとは言えない。

そこで便宜上、法律というものを作って、明確な統一基準を
設けることが必要になる。

話を元に戻すと、海外で暮らすということは、異民族、時には多民族と
共に暮らすということで、常にイデオロギーの違いという問題が存在しうる
ことを理解していなくてはならない。

日本のような甘えは通用しないのだ。

日本を表す言葉として、『恥と甘えの文化』という言い方がされるが、
私はそのとおりだと思う。

日本社会には、政治も含めて、ほぼ単一民族で価値観も似ている
(実際には議論のあるところだとは思うが)ということに端を発する
『甘え』があちこちに根付いているが、国民のほとんどはそれを意識することなく
生活している。

日本人が海外で暮らしていくには、まずその甘えの存在を意識して
捨てるということが必要になると思う。

表面的な憧れだけで海外に出て、挫折して帰ってくるのは
結局この『甘え』が捨てきれないケースがほとんどではないかと思う。

話が長くなってしまったので、そろそろまとめに入ろう。

私がこれまでに住んだことのある国についての感想を言うと、
カナダは他の国から来た人間でも、分け隔てなく受け入れてくれる。
チャンスを与えられる代わりに、厳しさもある。

一方、同様に移民で成り立っているオーストラリアの場合は少し
事情が異なって、オーストラリアでは外国人はあくまで外国人として
扱われる。特に、日本人はお客様扱いを受けている感じがする。
甘えがある程度通用する代わりに、本当の意味で現地に同化することは
難しいと思う。

住んだわけではないが、合計半年間を過ごしたニュージーランドは
島国であるせいか、とても日本人に似ている。シャイで、仲良くなるのに
少し時間が必要かもしれないが、一旦親しくなると、とても親切に
してくれる。日本人には気質的には一番合っている気がする。

私はと言えば、色んな国を見たり、住んだりした結果、北海道という
素晴らしいところを見つけた。

北海道も日本の中では数少ない移民で成り立つ土地だ。

私が知っている日本の中では最もカナダ人に近い気質を持った
人たちが住んでいて、よそ者を仲間として受け入れてくれる風土がある。
もちろん、私が大好きな大自然に囲まれた環境もある。

ただし、日本であることには変わりないので、原発再稼働という
明らかに誤った判断をする情けない政府の下にあるわけだが、
おそらくは世界中のどこへ行っても、何から何まで全てが快適ということは
有り得ないと思う。

限られた時間しかない人生をどこで過ごすかというのはとても重要な問題だが、
どこを選ぶかは色んなことを総合的に判断するべきだと思う。

日本で生まれ育ったからと言って、日本が合うとは限らないので、
選択肢を日本に限定する必要はない。

一方で、生まれ育った環境というのは、自分の人格形成に
無意識のうちに色んな形で影響している。
だから、生まれ育った国にいる方が色んな意味で楽ではある。

ただ、もし今住んでいるところが、生まれ育った土地だからという
理由しかないのなら、その判断は間違っているかもしれない。

悔いのない人生を送るためにも、自分がどこで人生を過ごすかに
ついては、もっと真剣に考えていい問題だと思う。


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| 人生 | 12:32 | コメントはこちらから:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

お忙しいところ、いろいろなお話ありがとうございます。
私はオートバイに乗るので、いずれ北海道を旅したいと思っております。
出来れば一度なまらさんにお会いして食事でもしたいなと思っております。
あのアスパラ食べたいな~ て感じです。

| イトウ | 2012/06/26 00:06 | URL | ≫ EDIT

Re: タイトルなし

イトウさん

アスパラを食べるなら、6月ですね。
結構時期は短くて、今年はこの辺りのものは
そろそろ終わりのようです。めっきり出荷量が減りました。

北海道でバイクは気持ちいいでしょうね。
こちらに住んでいると、一年のうち半分ぐらいしか
乗れないので、持っていても勿体ないですが。。。

北海道は自然が好きな人には素晴らしいところです。
是非いらしてください。

| Swimmer to the moon | 2012/06/26 20:47 | URL |















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