なまら好きやねん北海道

都会生活にうんざりし、海外生活も経験した関西人が北海道の素晴らしさに感動しながら、その生活ぶりを紹介するブログ

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原子力発電所の事故について思うこと

今回の悲惨な大地震は津波を伴った大きな被害をもたらしたと共に、
我々人類にとって重要なひとつの事実を教えてくれた。

人類の科学は原子力を扱えるレベルには到底達していない。

我々国民はこれまで『原子力発電は安全だ』、『事故なんて起きない』、
『放射能は漏れない』などということを散々聞かされてきた。
しかし、確信的であったか悪意であったかは別として、そんな安全神話は
結果的に科学者の過信、もしくは原子力発電所を作りたいがための嘘であった
ことを思い知らされた。

今回の事故を『想定外の出来事』として片付けようとする関係者が
もしいたとしたら、原子力発電所の安全性の評価には今後一切
関わらないでほしい。

確かに今回の地震は国内での観測史上最大で、過去に例がない規模だったことは
どうやら間違いないらしい。しかし、それは決して想定外ではありえない。
現実に我々が知っている地球の歴史の中で、M9.0規模の地震はこの100年だけを
考えても国外では4度も起きているし、M8.0規模であれば国内でも頻繁に起きている。
日本が地震の多い国であることは小学生でも知っている。

それを想定外というのは呆れてものが言えない。想定外というのは
我々の知り得ない惑星から突然宇宙人がやって来て、地球上には無いほどの
威力を持った兵器で発電所を攻撃したという場合に使って良い言葉なのだ。

結局、放射性廃棄物の処理すらまともに出来ず、放射能漏れを起こした際には
逃げる以外に処置が無いような現状では、言ってみれば、3歳児が家の中で
一人で花火をして遊んでいるようなものだ。

3歳児だって教えれば、ライターで花火に火を付けることは出来るだろう。
でも、的確な火の後始末や火事になってしまった際の対処法なんて期待すべくもない。
今の原子力発電はまるでこれと同じだ。

核反応を起こすことによって電力を取り出すことはできる。つまり3歳児が花火に
火をつけられるようなものだ。でも、その後始末や事故処理についてはまるで
3歳児の火遊びのごとく全くコントロール出来ていない。

人類が完全に原子力発電のコントロールが出来るようになるまで、原子力発電は
全て中止すべきだろう。


こういう話をすると、おそらく間違いなく、『現在の電力の需要は原子力なしでは
賄えない。』と反論する人間がいるだろう。

しかし、それは全く話の順序そのものが間違っている。

日本国内で安全に供給できる電力量が限られているのであれば、我々国民は
その範囲内で生活をする術を考えるべきなのだ。

現在の『電気使い放題の生活を維持するために、国民の命を危険にさらしても
原子力発電を続けないといけない』という論理は、(乱暴な言い方をすると)
『私は生活するのにお金が必要だから、強盗をしているんです』と言っているのと
同じようにも聞こえる。

生活するのにお金が足りないのであれば、生活のレベルを落とすか、
合法的(安全)にお金を稼ぐ方法を考えるのが正常な思考形式だ。
電力についても同じことが言える。

我々の現在の生活は不要な電力をたくさん使っている。例えば分かりやすい
例を挙げると、歌舞伎町やすすきのなど歓楽街のネオンはあれほど派手である
必要はあるのか? 町中にこんなにたくさんの自動販売機が必要なのか? 
24時間営業のコンビニはこんなにたくさん必要なのか? 

家庭内でも無駄に消費している電力は多かれ少なかれあるはずだ。

この電気の無駄遣いのひとつの背景として、私は電力の安さが関係していると思う。
このことを実感するために、電気の無い生活というものを考えてみてほしい。

例えば、自分が何らかの理由で、周りに何もない荒野で暮らさないと
いけなくなったとする。そんな状況下で、お金を支払えば電気が供給
されるとしたら幾らまでなら払うだろうか?

一人暮らしの私の場合、一軒家であっても、電気ストーブを使わなければ
電気代は月に3,500円前後で済んでしまう。でも、実際に電気を使用できることに
よる恩恵はそんな金額で済むものではない。私なら現状の5倍、いや10倍
払っても電気のある生活を選択するだろう。電気というものの価値は
実際にはそのぐらいあるものだと思うし、もっと大切にすべきものだと思う。

もちろん、だからと言って単純に電気料金を上げればいいと言っているのではない。
一つの提案としては、人間一人当たりが普通の生活を送るのに必要な電力を、
暖房需要や冷房需要などの地域特性を考慮して算出し、その範囲内の電気代は
これまでどおりとして、それを超えた部分にはそれこそ10倍ぐらいの高い
料率を適用すればいいのだ。

そうすれば、まず第一に国民は、現在のようにファッションとしての口先だけの
エコではなく、本当の意味で省エネということについてもっと真剣に考える
ようになるだろう。もちろん、無駄なネオンや深夜の営業も自発的に減ることに
繋がる。

そうして、国民の電力需要縮小を促した上で、国や電力会社には安全で
枯渇の心配のない自然エネルギーを活用する方法を考えてもらいたい。

これまで原子力発電に費やしてきたお金や労力を集中すれば、原子力ほど
効率は良くないかもしれないが、現状よりは遥かに多くのエネルギーが
自然から得られるはずだ。

誰も使わない下らない道路や国民の大半が反対している不要な空港を
一部の人間の私利私欲のために作るのは止めて、それらの財源を使って
日本国中にソーラーパネルを設置したり、国内にたくさんある火山や温泉の
地熱を利用するなど、考えられることはいくらでもあるはずだ。

そんな努力もしないで、安易に原子力などという危険で、現状では
全くコントロールすることすら出来ないものに依存するべきではない。

繰り返すが、原子力発電なしで供給できる電気量に限りがあるのであれば
その範囲で生活できる方法を考えないといけないのだ。


例えば、電力の関係で電車の本数を現状の半分にしないといけないとする。
じゃあどうするか? 答えは簡単で、在宅勤務を増やせばいいのだ。
都市部なら現在既にある通信インフラで充分に可能だ。発想さえ転換すれば
相当多くの職種で在宅勤務に切り替えることができる。

現在の事務職の多くは一日中PCの前で作業をしていることだろうし、
会議が必要であれば無料でスカイプで済ませることだってできる。
つまり、インターネットとメールが使える環境があれば、在宅勤務が
可能な職種はたくさんあるのだ。

もしそれ以外に必要なものがあるとすれば、それは顔を突き合わせなければ
何もできないという頭の堅い時代遅れの固定観念を取り払うことのみだ。

学校だってそうだ。もちろん、学校には人間関係の構築など、
勉強以外の要素もあるので、全ての学校というわけにはいかないが、
オンラインスクールに移行できる学校もたくさんあるはずだ。

実際、私はオンラインスクールで勉強をしたことがあるが、その場でチャットで
質問することもでき、実際に教室に通うのと何ら違いはなかった。
おそらく専門学校や資格のための学校の多くは、オンラインスクールに
移行出来る筈だ。

もしそれらの色んな努力をしてもまだ電力が不足しているなら、
我々の文明のレベルがその程度だと諦めて、昭和初期、いや必要があれば
明治の頃の生活にだって戻ればいいのだ。


ここ数日、興味深い報道がなされている。日本はこれほどまでの極限の状況下に
あるにも関わらず、略奪が起きずに、被災者の方々が冷静でいるということを
海外のメディア関係者が驚きと共に伝えているというのだ。

我々日本人にとってはごく当たり前のことが、海外では当たり前ではない。
こういった日本人の崇高な精神は誇りに思っていいはずだ。こんな状況下でも
一致団結して協力し合う和の精神があれば、原子力に依存しない社会構造を
作れるに違いない。

20世紀の日本は工業・電化製品などの分野で世界をリードし、
トヨタのかんばん方式を始めとして、様々な面で世界の模範となってきた。

しかし、高齢化の進むこれからの日本でいつまでもそんな過ぎ去った
幻想を夢見ていても仕方が無い。そういった役目は中国などの新興国に譲り、
これからの日本はクリーンなエネルギーで暮らす、本当の意味でのエコの国として
他の国々の模範となっていくべきだ。

何と言っても、放射能の恐ろしさをこの地球上で一番知っているのは、
他ならぬ我々日本人なのだから。


20世紀には原爆投下により被爆を余儀なくされ、21世紀には自ら作った
原子力発電所の事故で被曝する。日本人はそんな愚かな民族では無い筈だ。

| 人生 | 17:48 | コメントはこちらから:4 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

捨てたもんじゃ

日々、100~200名の人と接していると 「スゴイね~日本を頼むよ」って思う高校生、大学生や「さすが!」と尊敬したくなる人生の先輩もいます。

捨てたもんじゃあないです。

| あじゃこ | 2011/03/17 23:31 | URL |

Re: 捨てたもんじゃ

あじゃこさん

そういう学生がいるっていうのは頼もしいね。

でも、全体を底上げするにはやっぱり学校教育を変えないとね。
今までのように学生がたくさんいて、入試でふるい落とさないと
いけなかった時代は終わったわけだから、暗記中心の入試の内容を
変えていけば学校教育も変わるんじゃないかな。

本来は学校教育を変えることによって入試のやり方が変わるべきなんだけど、
日本人にはそれは難しそうだからね。

| Swimmer to the moon | 2011/03/18 09:31 | URL |

そう!変革!

例の京大カンニングで思ったのは「入学したところで、授業についていける?卒業後どうなると思うん?」 学歴社会は崩壊してるはず、なのに今だに親も子もかつての体制から変われない。不安なんやろうか。 学校の授業について行けず塾に行く。年に何十回も聞く。あれこれ分かりやすく指示されないと理解できない子が、社会に出た時に急に自発的に動けるのか?相手の気持ちを察したり、創意工夫できるのか? (いや、できない。笑。部下達を見てると、悪気なく相手の喜怒哀楽が読めない若者は確実に増えてます。マイペースの私が思うのだから相当です)
小学生くらいまでは オモロイ子、やんちゃな子、めちゃ出来る子と多様な個性が見えるのに 大学に到達する頃には「受け身人間」が倍増している。

知識も大切だけど、それをどう使うか?察知力や行動力、知恵を私は大切にしたいです。

| あじゃこ | 2011/03/18 16:44 | URL | ≫ EDIT

Re: そう!変革!

教育カリキュラムの改革は必要だと思うけど、今現在先生を
している人達はみんなそういう教育を受けたことのない人達だから、
まずは現在の教員の教育や大学での授業内容の改革が必要だろうね。

少子化で子供が減っているんだから、今までみたいな大量生産型の
ベルトコンベア式の教育ではなくて、もっと中身の濃い内容のある
教育ができると思うんだけどね。

| Swimmer to the moon | 2011/03/18 19:16 | URL |















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