なまら好きやねん北海道

都会生活にうんざりし、海外生活も経験した関西人が北海道の素晴らしさに感動しながら、その生活ぶりを紹介するブログ

2013年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年11月

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性善説と性悪説

性善説と性悪説という考え方がある。

誰もが一度は考えてみたことがあるテーマではないだろうか?
つまり、人間は生まれながらにして善で、後天的に悪を身につけるのか、
生まれながらに悪で、後天的に善を身につけるのかということだが、
私はそのどちらでもない気がする。

自分の身の周りにいる人間だけを見ていると、人間と言うのは
生まれながらにして善なのではないかと思いたくなるほど、私の周りには
素敵な心を持った人たちがたくさんいるが、それも結局は生まれ育った
環境やこれまでに経験してきたことの影響が大きいと思われ、
生まれてきた時点では善でも悪でもないピュアな無色透明のようなもの
なのではないかと思う。


なぜ今回このようなことを書こうと思ったかには理由がある。
自分の周りには至ってまともな人間が多いにも関わらず、昨今の世の中の
出来事を見ていると、根本から腐ってしまったような人間が多く見受けられるからだ。

あまり考えたくもないことだが、世の中には、自分の私利私欲のために、
人を傷つけたり、殺したりすることができる人間がいる。

同じ人を傷つけるのでも、自分の家族や愛する人が傷つけられたり、
殺されたりして、その復讐としてなら、許されることではないにせよ、
まだ理解の余地はある。しかし、金や私利私欲のために人を殺めることが
できるというのは常軌を逸していて、全く理解することができない。

そして、この私利私欲のために人を傷つけることができる人間には
2種類いると思う。自らの手で犯行に及ぶことが出来る人間と、
自らの手は汚さず、他人の手を使ったり、自らが招いた他人の不幸でも、
自分の直接見えないところで起きていることには全く意に介さないという人間だ。


実際、人間という生き物は目の前で起きている他人の不幸については
同情して放っておけなくても、それが自分の目に入らないところで起きていれば
無関心でいられる。

もちろん、世界の裏側で起きている様々な他人の不幸の全てに同情して
人間は生きていけないので、仕方ないと言えば仕方ないことではある。


例えば、こんな話がある。

分かりやすい例を挙げると、『崖っぷち犬』だ。
これまで何度となく似たようなことがあったが、崖で立ち往生している犬を
レスキュー隊まで派遣して救助し、そのことが報道されると飼いたいという
人が殺到して、抽選で飼い主が決まったという話だ。

私はこういう話を聞くと、いつも大きな違和感を覚える。

何も考えないで聞いていると、不幸な犬が人間の手で助けられ、新しい飼い主の
もとで暮らすという美談に聞こえるが、はたしてそうだろうか?

人間の手で一時は飼われていた犬や猫が、いい加減な飼い主の勝手な都合で捨てられ、
やがて保健所に引き取られ、殺処分される数は犬が年間約10万頭、猫は20万頭以上だと
言う。

結局、この犬の飼い主になりたいと申し出たのは11組いたそうだが、抽選に外れた
10組のうち、他の犬を引き取ったのは1組だけ。つまり、他の9組はただ単に
テレビで話題になっている『崖っぷち犬』がほしかっただけ。さらに、後日談として
抽選で当たった飼い主も今は飼育を放棄し、この犬はまた動物愛護センターに
戻っているという。

当初の意図から少しポイントがずれてしまったが、ここで私が言いたかったのは、
犬猫併せて毎年30万頭以上がいい加減な飼い主のせいで殺処分されている現状が
ある中で、マスコミで取り上げられたこの1頭だけを救うことが美談として
語られるのはおかしな話だということだ。

目の前で危機に晒されているこの1頭は救いたい、でもその陰で私たちの目には
通常見えないところで数10万頭が殺処分されていることについては気にもならない。

そんなことでいいのだろうか?

そもそも、話題になってるからほしいとか、ファッションの一部的な感覚で
まるで物を買うように犬や猫を飼うということ自体が間違っている。

私は以前から思っているのだが、犬や猫など特定の動物を飼うことについては
全てライセンス制にすべきだと思う。


動物を飼う上での心構えや覚悟について教育し、認められたものだけに動物を
飼うことが許され、全ての犬や猫はDNAか何かで登録し、一切の捨て犬や捨て猫が
出ないようにする。

もちろん、動物を大量生産し、物と同様にしか考えていないペット業界は
大反対をするのだろうが、こうでもしないと、現在の異常な状況は打破できず、
何の政策もないまま、また新たに毎年30万頭にものぼる犬や猫が殺処分される。

そういったきちんとした法律を定め、飼い主に生き物を飼うことの責任を
自覚させ、殺処分を日本から無くしてこそ、美談と言えるのであって、
マスコミがたまたまクローズアップした1匹を救うことは、その陰で起きていることを
考えると決して美談でも何でもない。


と、長々と日本のペットにまつわる酷い話を書いてきたが、実は今日もっと
書きたかったことがある。

私は先ほど、人間は自分の目の前で起きる他人の不幸については同情心を
発揮すると言った。また、私利私欲のために人を殺したり傷つけたりする
人間には2種類あって、直接自らの手で人を殺めることはしないが、
自分の直接見えないところで起きていることには意に介さないという人間が
いるという話をした。

福島原発事故以降の日本で原発を推進しようというのは、まさしくこれに
当たると思う。

福島の原発事故により、電力会社や日本政府は、安全対策も、危機管理も、
事故処理も、何一つとして満足にすることができず、全てが後手後手に
回っていることが露呈した。

つまり、そもそも原発を稼働させる能力など全くないのだ。

このことにより、現在も、そしてこれからも放射線被ばくによる多くの
被害者がでることが予想される。ネット上には次から次へと明らかになる
放射能汚染の情報があちこちにあるが、TVではほとんど触れられていないか
報道はしても、事実だけを伝えて、それが人体にどういう影響を与える可能性が
あるかなどを掘り下げて報道されることはない。

先日、山本太郎議員が当選後のTV出演で放射線被ばくについて発言しようと
したところ、画面が切り替わって突然CMになったという話でも分かるとおり、
マスコミは異常なほどまでに、超お得意様である電力会社に気を使っている。

地下水の汚染の問題はまだ報道されている方だと思うが、起きていることの
大きさに比べると、まだまだ取り上げ方が小さいと思う。選挙の票取りだけの
ために円安誘導して株価を一時的に上げただけのアベノミクスなど報道している
時間があれば、もっと原発の事故処理や廃止問題を取り上げるべきだ。

本来、選挙の一番の争点であるはずの原発廃止問題も、マスコミからは完全に
無視される形で、経済問題とすり替えられてしまった。前回書いたとおり、
自分の頭で考えることをしない国民はまんまと騙されてしまったのだと思う。


この世の中には、人の生命や健康などどうでもいいから、金が欲しい
原子力村の人間がいる。彼らにしてみても、原発の放射能が原因で亡くなったり、
健康を害する人がいても、直接そういったことを目にすることはおそらくない。

また、例えそういうことが目の前で起きていても、因果関係が証明できないと
して、自分たちの責任ではないと無視することができることを知っている。
福島第一の所長の死ですらお悔やみの言葉よりも、放射線を浴びたこととは
無関係ということが強調される異常ぶりだ。

性善説か性悪説かでいうと、私はその中間の、生まれた時はピュアで、そのどちらでも
なかったと信じているが、人間の欲というものは恐ろしいもので、私利私欲のために
平気で他人を傷つけるまでに人間を腐らせてしまう。

嘘で国民を欺いてきた事故前ならともかく、真実を知ってしまった今の日本には
原子力発電などという選択肢は完全に無くなっているのだ。


一部の人間の私利私欲のために、国民の健康が脅かされるようなことはあってはならない。


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