なまら好きやねん北海道

都会生活にうんざりし、海外生活も経験した関西人が北海道の素晴らしさに感動しながら、その生活ぶりを紹介するブログ

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ムアンゴイ その2

私より1日早くから同じゲストハウスに泊まっていたドイツ人の女の子から
隣の部族の村へ行ってきた話を聴いて、なかなか面白そうだったので、
宴会の翌日の朝、Jに地図を描いてもらって、行ってみることにした。

これがその地図。

muang ngoi map_400

Jの説明によると、まず、村の学校近くの道から村を出て30分ほど歩くと、
Jの奥さんが生まれた洞窟があるという。

関西人の私はこういう話を聞くとすぐに『なんでやねん!』と突っ込んで
みたくなるが、戦時中の話で洞窟で生まれたというのはどうやら本当らしい。

その洞窟を越えて右手に田んぼを見ながらさらに10分ほど行くと川があり、
浅いのでそのまま歩いて渡ることができる。
その後もまっすぐ行くとBANNAという部族の村に到着し、さらにそこから
足を延ばせば他の2つの部族の村にも行くことができるとのことだった。

地図を元に目的地に向かうに当たって、私には大きな問題があった。
それは方向音痴。それも並みのレベルではない。おそらくは世界の
トップクラスと互角に戦えるレベルだ。

しかも町中のように、途中に目印になるような建物があるわけでもない。
大丈夫なのか? まぁ、道から外れなければ、それほどたくさんの道が
あるわけでもないだろうから何とかなる。

そう思って歩き始めた。

ngoi_01.jpg

まずはこんな道を通って村を出る。

ngoi_02.jpg

途中、こんな道や、

ngoi_03.jpg

こんな道を通りながら、進んでいく。

ngoi_04.jpg

壮大な景色の中で農作業をする人たちがいた。

ngoi_05.jpg

ここにも、収穫作業をする人たち。

私が訪れた10月はちょうど実りの秋だった。

ngoi_08.jpg

途中、こんな橋も渡った。

ngoi_09.jpg

どうやら、これが奥さんが生まれた洞窟らしい。
奥の方まで続いている。

ngoi_10.jpg

手作り感満載の橋。
竹が上手く使われている。

ngoi_11.jpg

見たことのない植物の残骸。

ngoi_12.jpg

ここでも収穫作業。

やはりラオスでも収穫は家族や近所の人が総出の作業のようだ。

昔の日本でもこんな光景が見られたに違いない。
というより、小規模な農家では今でもこんな感じなのだろう。

ngoi_13.jpg

川に到着。

しかしここで道が分からなくなる。

ここが川を渡る場所なのか?

Jの話によるとまっすぐ行くと川に突き当たるということだったはず。
でも、川沿いにまだ道は続いている。

方向音痴の私だが、町の中では迷子になることを全く気にせず、
気の赴くままに進んでいく。

しかし、ここは山の中。

しかも半端な山ではない。
その証拠に、村を出てから、誰ともすれ違ったりしていない。

それに、Jから聴いていたよりは随分と時間が掛かっているような
気がする。

自分が地図上のどこにいるのか分からないから、この先どのくらい
行けばいいのかも分からない。

隣村は目的地ではあるが、危険を冒してまで辿り着かないと
いけないところではない。

ここまで歩いて来ただけで、充分に景色を楽しむこともできた。

そう思って、来た道を戻り始めたところに救世主が現れた。

ngoi_14.jpg

このドイツ人の夫婦だ。

どこへ行くのだ? と訊くので、隣村へ行こうと思ったけど、
道が分からなくなったから戻るところだと言うと、彼らは前日も
村を訪れ、素晴らしいところだから、行った方がいいと言う。

おまけにムアンゴイではなかなか飲めない冷たいビールを
飲める店があるという。いきなりビールの話が出るところが
いかにもドイツ人らしい。

思いもかけず、道案内人が出来た私は彼らに付いていく
ことにした。

もし彼らと出会っていなかったら、例えあそこで川を渡って
来ていたとしても、この田んぼの畦道に来たところで
まさかこの道で合っているとは思わずに引き返していただろう。

前日の宴会に続き、この日もラッキーだった。

ngoi_15.jpg

しばらく畦道を行くと、ようやく村が見えてきた。

一番手前に見える建物が冷えたビールが飲めるというレストラン。

ngoi_16.jpg

そしてビアラオ。

ラオスのビアラオは普通は10,000kip(約110円)ぐらいだが、ここでは
15,000kip。でも、ここまで瓶ビールを運んでくる大変さを考えると
全く文句はない。

ただし、冷えていると言っても、電気がなく冷蔵庫がある訳ではないので、
水に浸けてある程度。

ngoi_17.jpg

3人でビアラオを飲みながらランチを食べていると、彼らの知り合いの
別のドイツ人カップルも到着し、しばし歓談。

ドイツは福島の事故を受けて、全ての原発を廃止することに決めたという
話を聴き、しかもそれが2022年という早い時期であることを知り、
事故の当事者である日本が30年後だと言っている現状を情けなく思った。
ところが、それどころか、この旅行後に、国民の安全より金儲けを優先しようとする、
原発が大好きな政党に政権交代し、原発廃止の決定すら覆そうとしている最新の状況と
またマスコミに踊らされてそれを選挙で選んだ日本国民には本当に失望した。


ngoi_18.jpg

ラオスの山間で良く見る家。
ラオスでは竹が色んなところで上手く使われているのが印象的だった。

ngoi_19.jpg

村の様子。収穫に忙しいせいか、村人には会わなかった。

ngoi_20.jpg

村の一番奥で牛が放牧され、子供たちがボール遊びをしていた。


少なからず観光化が進んでいるムアンゴイと違って、この村には
ジェネレーターもないのではないだろうか?

人々は暗くなったら寝て、明るくなったら起きる。そんな昔ながらの
生活を今でもしているはずだ。

そんなことを考えていると、カナダでキャンプをしながら生活をしていた
時のことを思い出した。

ブリティッシュコロンビア州とアルバータ州で、1度も屋根のある宿泊施設には
泊まらず、釣った魚を食べながら3週間ほどキャンプ生活をしていたことがある。

私が利用していたのはD.O.C.(Department Of Conservation)という政府の
機関が管理をするキャンプ場で、無料である代わりに、ほとんどが山奥にあり、
ピクニックテーブルと汲み取り式のトイレが1か所あるだけで、電気もなく、
水道すらない。

僻地にあるせいもあってか、他のキャンパーを見ることもほとんどなかった。

そんなところでキャンプをしていた時のこと。最初の2日間、私はあまり
考えずに、夜になると当然のこととして、ランタンに明かりを灯し、夕食の
準備や片づけをしていた。

周囲に何もない暗闇の中で懐中電灯やランタンの明かりだけを頼りに炊事を
することはとても不便で、3日目にしてようやく私はその馬鹿馬鹿しさに気づいた。

明るいうちに夕食の準備をして、暗くなる前に片づけを終えればいいのだ。

何も都会生活のように、時計に従って生活する必要はない。

そう気づいた瞬間に今までの自分が馬鹿らしくなった。

それから太陽中心の生活リズムに変えたら、色んなことが上手く行った。

夜早く寝るので、朝は夜明けとともに起床。

朝一番にするのは目の前の川や湖でのトラウトフィッシング。

朝もやの中での釣りは最高に気持ちがいいし、
また目覚めも爽快だった。

人間の身体は太陽のリズムに合わせて生活するように
出来ている
のだとこの時つくづく思った。

この村の人たちは今でもそんな生活をしている。

車や電化製品を始めとする物に溢れかえる物質社会である日本では、
何が本当に必要で何が必要でないかの判断すらも自分自身で
していない人がたくさんいるように思える。

ところが、キャンプやこのラオスの村のように、物がないところで
実際に生活してみると、自分たちが普段当たり前のように所持し、
使用している物のほとんどが実は不要であることに気付く。

ラオス語が話せない私が本質的なラオス人の生活を知ることには
大きな無理があるが、それでもその表面の一部を垣間見ることが
できただけでも、今回ラオスへ行って良かったと思う。

また、これまで全く触れ合うこともなく、何も知らなかった
ラオスの人たちと少しでも触れ合うことが出来、その素朴さ、
優しさを直接感じたことで、ラオスという国がとても好きになった


ngoi_21.jpg

ムアンゴイの村に戻り、
再び、ビアラオ。









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| 旅行 | 21:49 | コメントはこちらから:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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ムアンゴイ その1

lao_border.jpg

タイの国境の街チェンコンから舟で国境を渡り、
ラオス、フエサイの街へ。

そこからさらにバスに乗り、ルアンナムターでバスを乗り換え、
ウドムサイへ。ここから先は同日に乗り継ぎが出来ないので、
ウドムサイで一泊し、翌日ノーンキアウの街に到着した。

ムアンゴイへの玄関口となるノーンキアウの街は特に何が
あるわけでもないが、景観の素晴らしいところで、とても
のどかな街だ。

nong_khiew_bridge.jpg

この街の中心にある橋からの景色は絶景で、夕方散歩をしながら
写真を撮っていると子供が写真を撮ってくれと話しかけてきた。

lao_kids.jpg

翌朝、ボートでいよいよムアンゴイへ向けて出発。

boat_to_muang_ngoi.jpg

エンジン付きの木船でウー川を遡りながら見る風景は、
水の色といい、子供たちが遊ぶ様子といい、
驚くほどアマゾン川に良く似ている。

kids_in_the_river.jpg

water_baffalos.jpg

地球のほぼ裏側にあるはずのアマゾン川とラオスのウー川で
同じようにモンゴロイドの子供たちが川遊びをしている様子が
オーバーラップするという予想外の出来事に、人類のグレート
ジャーニーに思いを馳せずにはいられなかった。


切り立った山々などの絶景を見ながら船に揺られていると
あっという間にムアンゴイに到着。

地元の人の出迎えに交じって、2人の中年女性がゲストハウスの
客引きに来ていた。

バス乗り場等にやってくるこういった客引きは、他の国では
もっと積極的に観光客にアピールするものだが、この時来ていた
二人はその存在すら気がつかないぐらい小さな声で客引きをしていた。
この辺りも控えめなラオス人らしさが出ていて妙に新鮮だった。

私はLonely Planetを頼りにある程度、宿泊先の候補を絞っていたので
当初は相手にせず通り過ぎたのだが、立ち止まった際に何かのきっかけで
その内の1人と目が合って話が始まり、感じのよさそうな人だったので
バンガローにハンモックがあることだけを確認して、取りあえず部屋を
見せてもらうことにした。

そう、ここでの私のこだわりはハンモック。

ハンモックに揺られてまどろむ気持ちよさは実際に体験してみないと
想像がつかないと思うが、実に気持ちがいい。

ムアンゴイは小さな村なので時間を持て余すのではないかと思い、
私は開高健の『夏の闇』という小説を持参してきていたのだった。

大学時代に既に読んだ本だが、メコン川流域を舞台にしており、ムアンゴイで
ハンモックに揺られながら読むには最適と思ったのだ。結局、近隣の集落を
訪れたり、洞窟を見に行ったりして、本を読んでいる暇は全くなかったが、
アマゾン以来のハンモックはやはりとても気持ち良かった。

また話が逸れてしまったが、後になって思うと、この時のとっさの判断で
客引きの女性に付いていったことが、私のムアンゴイでの滞在に大きな影響を
与えることになった。

bangalow.jpg

私はここに泊まったおかげで、旦那のJと出会い、村の話をいろいろと
聴くことができたし、家族のパーティーにも招かれて、楽しい時を
過ごすこともできた。

Jと知り合っていなかったら、私のムアンゴイでの滞在は全く別のものに
なっていただろう。

この宿の主人であるJのおじさん夫妻がルアンプラバーンから来ていて
明日帰るから今夜はパーティーをするということで私も招いてくれた。

(Jがuncle、uncleと言うので、ここではおじさんとしてあるが、
奥さんの兄弟ということなので、実際にはbrother-in-law、つまり、
義理の兄弟だと思われる)

何というラッキー。

どこかでラオスの家庭料理を食べられないかと思っていたところに
運よくその機会があっさりとやってきた。

lao_food.jpg

この時振る舞われたのはラオスの代表料理であるラープ、鶏のスープ、
焼き魚、キムチ(と彼らは呼んでいたが別物)、生野菜多数、それにもち米。

そう、もち米(カオニャオ)は彼らの主食。

赤飯があまり好きではない私は、ラオスやタイ北部では主食がもち米だと
聞いた時に、きっと好きになれないだろうと思っていたが、これが意外にも
とても美味。

もち米を主食として食べることに全く違和感がないどころか、
慣れてしまうと普通のお米(カオスワイ)が何だか物足りなく感じてしまうほどだった。
やはり何事も体験してみないと分からないものだ。

すっかり嵌ってしまった私は、日本ではなかなか食べる機会もないので、
ラオスやタイにいる間は可能な限りもち米を食べた。

そしてラオスと言えばラオラオ。

ラオラオはラオスの地酒。最初のラオというのはタイ語やラオス語で
『アルコール』の意味で、二つ目のラオは『ラオスの』という単語だから、
要するにラオスの酒ということだが、米を蒸留したもので、日本でいう
米焼酎か。

日本の焼酎はシャム(現在のタイあたり)から伝わったという説が
あるようなので、ラオラオは日本の焼酎のルーツなのかもしれない。

普段はビールかワインぐらいしか飲まない私にはとてもきつい酒だが、
勧められるがままに何杯か飲んでいるうちに、料理と良く合うので
だんだんとおいしくなって結構飲んでしまった。

にも関わらず、翌朝何ともなかった。自家製のラオラオは
二日酔いにならない
という話を聴いたが、どうやら本当らしい。

レストランで食べるラオスの平均的な料理は、あまりにレベルが高すぎる
隣国タイと比べるとかなわないが、奥さんの作る料理はどれもおいしく、
特にこのラープは絶品だった。

ラープはラオスのみならずタイのイサーン地方でも食べられている料理で、
肉や魚のこま切れ肉にバジルやミントなどの様々なハーブと合わせて
炒めてあり、トウガラシやライムも入った、スパイスが大好きな私は
大好きな味だ。

これだけを食べにでもまたラオスへ行きたいと思う。

あと、写真には一部しか写っていないが、野草らしい野菜が5~6種類ぐらい
あった。私が認識できたのはルッコラのみ。それ以外は本当にその辺りに
生えている草や葉っぱと区別がつかなかったが、おばさんたちに教わりながら、
ラープに巻いて食べるととてもおいしかった。

party.jpg

前回紹介したとおり、この村には電気が来ていない。

夜になると2~3時間だけ、宿泊施設や一部の家庭でジェネレーターで自家発電している。

この日もジェネレーターを使って最小限の電気をつけ、庭でパーティーをしていたが、
途中で何度かジェネレーターが止まった。

その度に一瞬にして辺りは真っ暗闇に包まれるのだが、空を見上げると
そこには満天の星空が。


私が住んでいるニセコは、星空の美しさに関しては日本ではトップクラスだが、
ムアンゴイの夜空はそんなものではなかった。

星空が綺麗に見えるためには、晴れていることはもちろん、
空気が澄んでいて、周囲に明かりがないことが重要。

私がこれまでに観た星空で最高のものはオーストラリアのグレートバリアリーフで
ボートの上から観たもの。海上で周りに何も光がないので、星が本当に綺麗に見えた。

ムアンゴイの夜空もそれに匹敵する美しさだ。

とにかく、空にはこんなに星があったのかというぐらい、もうこれ以上、隙間がないと
思うほどに星が散りばめられている。それほど長い間見上げていた訳ではないが、
そのわずかな時間の間にも流れ星や人工衛星が見えた。

こうして楽しい時はあっという間に過ぎ、Jとおじさんたちはラオラオで
かなり酔っぱらっていたが、ラオラオを勧め合いながら飲んで酔っ払っている
宴会の雰囲気はとても日本に似ていると思った。

宴会の開始時に、奥さんを始め、それを手伝っていたおばさんたちはなかなか
席に着けず、客のファランの女性を除くと、宴会が男たちだけで始まったのも、
日本でも良くあること。

やはりルーツは同じなのだろうか。

それにしても、今回私が払った宿泊費は1泊50,000キップ。約550円だ。
2泊したので1,100円としても、料理やラオラオ、ビアラオまで御馳走に
なって、なんだか申し訳なかったが、これもラオス人のホスピタリティだろうか。

旅行ではなかなか触れられないラオス人の生活を垣間見ることが
できたのはとてもラッキーだったが、ラオス語か、少なくとも
もう少しタイ語が話せれば、おばさんたちとももっと色んな話が
出来たのにと思うととても残念だった。











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ラオスのムアンゴイという村

muang ngoi
ムアンゴイのメインストリート

ノンキアウの街からメコン川の支流であるウー川を上流に
1時間ほど上ったところにムアンゴイという村がある。

この村には他のどの町からも道路が通じていないため、、
交通手段は舟しかなく、電気も来ていない。

そんな昔ながらの生活を体験しようと、ここへは
欧米を中心としたバックパッカーが数多く訪れる。

この村を今でも秘境として紹介しているブログもあるようだが、
2000年頃に最初にバックパッカーが訪れ始めた頃はともかく、
今ではルアンプラバーンやバンビエンと同程度に英語が通じ、
村人は観光客慣れしていて、秘境といった感じはない。

わずか700人ほどの村に舟が1日2便、おそらくは合計すると
50人程度は毎日観光客(ほとんどがファラン=西洋人)が
やってくるので、観光客の人口密度はかなり高い。

そうして村が観光産業の影響を受けていることは否めないが、
依然として環境の素晴らしさに変わりはなく、大自然に囲まれた
とても景観の美しいところである。

私が今回ラオスを訪れたのは、この村に来るためと言っても
過言ではない。

なぜ私がそんな僻地の村に興味を持ったか?

それは、日本が辿ったかもしれない道を垣間見ることが
できるかもしれないと思ったからだ。

rice field
ムアンゴイの田園風景

日本は戦後、工業化の道を進み、高度経済成長期に大きな発展を遂げた。

おかげで日本のGNPは世界第2位となり、自他ともに認める
経済大国へとのし上がり、そのことは日本人の誇りであり、
工業化という選択の是非を問う話など聞いたことがない。

しかし、それは本当に正しい選択だったのだろうか?

高度経済成長は、おそらくは戦後の復興に必死で、
他のすべてを後回しにしてがむしゃらに働いて来た結果だろう。

そんな危機感に日本人の元来の勤勉さが相まって
いつしか自らの生活の質(Quality of life)という概念すら
考えずに自己を犠牲にして働くことが当然のこととなった。

その結果、生きるために働いているのか、働くために
生きているのかすら見失い、またそういった疑問すら
思い浮かばないほどにある意味洗脳されてしまっている。

また一方では、金儲けを最優先するあまり、自然は破壊され、
各地で様々な公害問題を引き起こした。

幸いなことに、公害問題に関していえば、私が子供の頃と
比べるとずいぶんと改善された。ヘドロで異臭を放っていた
近所のドブ川も、今では魚が泳ぐ姿が見えるほどになっている。

でも、環境よりも金儲けを第一とする考え方は残念ながら変わっていない。

当時問題だった光化学スモッグが鳴りを潜めたかわりに、
今は放射能が各地の原発から放出されている。

今回の選挙結果を見ると、環境より金儲けの方が優先されていることが
良くわかる。

今の日本に一番大切なことは一日も早く全ての原発を廃止すること。

ところが、原発を再稼働させてでも、経済を活性化させ、
デフレを脱却すれば、被災地も復興するし、万事が上手く行くという
愚かな嘘にまた国民は騙されようとしている。

景気の回復が課題であることは間違いない。

しかし、思惑どおりにデフレを脱却できたとしても、またどこかで
原発事故が起きれば全てはおしまいだ。

そんなことは福島の現状を見れば誰にでも分かることだ。

北海道ではTPP問題が大きく取り上げられているが、そんなことより
泊原発でひとたび事故が起きれば、TPPなど比べものにならないほどに
北海道の農業は壊滅的な被害を受ける。日本の重要な食糧基地である
北海道の広大な土地と作物が失われれば、さらに食料自給率を下げてでも
輸入食品に依存せずにはいられなくなる。

どうしてそんなことも考えずに、経済発展=金儲けを最優先にしようと
するのか? 今回の選挙結果を見て、そう感じずにはいられなかった。

いつものように話が逸れてしまったが、話を戻そう。

経済成長により、日本は金銭的には間違いなく豊かになった。
しかし、その陰で、失ってしまったものも相当に大きいのではないか?

金銭的に豊かになったはずなのに、有給休暇すらろくに消化できない
社会で、ストレスを抱えながら、ゆとりのない生活を送っているのはなぜか?

本当に日本は豊かになったのか?

そんな疑問に対する答えがラオスにあるような気がした。

日本はもともとラオスと同じ農業国。

どこかで歴史の歯車がかけ変わっていれば、日本はラオスの
ように農業国の道を進んでいたかもしれないのだ。

つまり、ラオス人の生活に触れることで、もしかすると
日本人が進んでいたかもしれない道を疑似体験することが
できるのではないかと思ったのだ。

temple
村唯一のお寺

今でも昔ながらの生活を続けるムアンゴイとその周辺の集落は
そんな私の好奇心を満たすには最適な場所のように思えた。

次回はムアンゴイでの体験を紹介しようと思う。








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ラオスでの小さな出会い その2

<<前回の続き>>

私のために、暑い中を走って、花を摘みに行ってくれたT。

そういえば、Tがつまんで食べていたこんなものもご馳走になった。

grass_hopper.jpg

そう、日本でいうイナゴ。

何でも食べる私が唯一苦手なのがこの虫関係。

でも、その中でもイナゴはぎりぎり私が食べられる範囲。

タイ北部やラオスではこういった虫の佃煮のようなものが
とてもポピュラーで、イナゴのほかにもこおろぎやタガメ、
竹虫、サソリなどが屋台で普通に売られている。

しかも、私が見た限り、なぜか買っていくのは女性ばかり。

どうやら、気持ちが悪いという感覚は全くないようだ。
子供の頃から食べているからだろう。日本人がちりめんじゃこや
桜エビを食べるのと同じ感覚なのかもしれない。

私は長野でイナゴの佃煮を食べたことがあるが、このイナゴは
日本のより、一回りか二回りぐらい小さく、日本のもののような
甘辛さは無く、もっとシンプルで、醤油ととうがらしで
炒めただけのような味がした。

もしこれがこおろぎやタガメであれば、Tに勧められても
食べることはなかっただろう。


話が逸れたが、元に戻そう。

何かお礼に上げられるものはないか?

日本から持ってきたお菓子は、ムアンゴイのゲストハウスに
置いてきたし。。。

とあれこれ考えていると、いいものを持っていることを思い出した。

しゃぼん玉セット。

南米を旅行した経験から、子供にむやみにお金やお菓子を上げることは
さらなる物乞いを誘発することになり兼ねないことが分かっていたので
何か代わりになるいいものはないかと思っていたところに、
旅行出発前にたまたま行き付けのスーパーで処分品としてひとつ50円で
シャボン玉セットが売られていたのだ。

これで子供たちと遊ぼう。

そう思って2つ購入して持ってきてはいたものの、その存在を
すっかり忘れて、カバンの中でお荷物となっていたのだが、
この日出掛ける前にようやくそのことに気づき、持ち歩いていたのだった。

でも、14歳にシャボン玉は幾らなんでもと思ったので訊いてみた。

『ねぇ、周りに誰か小さな子供いる?』
『7人姉妹がいるんだけど、私が一番下。あとお兄ちゃんが一人。でも、姪っ子がいるわ』
『じゃあ、良かった。これを上げるよ』
『これは何?』
『こうやって遊ぶんだ』

そういってシャボン玉を吹いて見せる。

シャボン玉なんて吹いたの何十年ぶりだろう。

とても興味深そうに見ているTに、絶対に飲んじゃだめだよと言って
道具を手渡すと、とても楽しそうにシャボン玉を吹き始めた。

たくさんのシャボン玉を一気に飛ばしたり、ゆっくり吹いて
大きなシャボン玉を作ったり、地面に着きそうになるのを
下から息を吹きかけて防いだりと、初めてシャボン玉を見る子供達が
必ずやるようなことを一通りやってみるT。

もしかして、シャボン玉を吹くのは本当にこれが初めてなのだろうか?

T_2.jpg

Tはシャボン玉と戯れながら、自らもシャボン玉になったかのように
一体となってくるくると舞った。

そうやってTがはしゃいでいると、どこからともなく、姪っ子2人が
現れた。上の子であるLが10歳とのことだったが、下の子はそのさらに
3~4つぐらい年下だろうか。2人ともTと同じように商品を持っている。

今日は土曜日で学校が休みなのだ。

Tはもう1セットあったシャボン玉セットをLたちに渡し、ラオスっ娘3人による
シャボン玉の競演が始まった。

L.jpg

次から次へと3人によって生産されるシャボン玉。

いつの間にか、世界遺産の街ルアンプラバーンは辺り一面のシャボン玉で満たされた。


おそらく今後Tと再び会うことはない。

もし将来私がラオスを再び訪れることがあり、そこで偶然に
すれ違ったとしても、お互いに覚えていないだろう。

でも、この時過ごした1時間ほどの時間は、ラオスの思い出と共に
私の胸の奥深くに刻み込まれ、これから先、色んなことが引き金となって
私は何度となくこの日のことを思い出すに違いない。

私の中には、そんな旅の思い出がたくさん詰まっている。








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ラオスでの小さな出会い

bamboo_bridge.jpg

これから紹介することは、何でもない旅の中の出来事。

なんだ、それだけのこと? と思うかもしれないが、
旅が終わって何年経っても思い出されるのは、
その町の風景や建造物等ではなく、何ということはない
こういった現地の人との出会いだったりする。

今回もそんな素敵な出会いがいくつかあった。


街自体が世界遺産に登録されている街、ルアンプラバーン。

congee.jpg

朝早く起きて散歩に出て、おばさんの呼び込みに誘われるがままに
地元の人で賑わうお店で、おばさんお勧めのおいしい朝粥を食べた後、
川沿いで座って休憩をしている時のことだった。

1人の物売りの少女がやってきた。

普段なら子供の物売りは断るのに困るところだが、
この時たまたま、前日のナイトマーケットで見て
買ってもいいかなと思っていた皮のブレスレットがあり、
彼女がそれを持っていたので値段を訊いてみた。

以下、日本語で書いてあるが、少女との会話は全て英語。

『20,000kip(220円)よ。』
『それは高いな。10,000(110円)なら買うよ』
『15,000(170円)でどう?』
『・・・』
『いくつ買ってくれる?』
『そうだね、2つで20,000なら買おうかな』
『じゃあ、それでいいわ』

会話の雰囲気から、まだまだ値段は下がることは
分かったが、子供相手にぎりぎりまで値下げの交渉を
するのも大人気ない。

商談が成立して、私の腕にブレスレットを付けてくれた後も、
彼女は立ち去ろうとはせずに、私の隣に座ってずっと話をしている。

名前はT。14歳。かなり英語が話せる。
観光客の多いルアンプラバーンという街は、英語が全くと
言っていいほど通じないラオスの他の街と違って、
英語を少し話せる人はそこら中にいるが、Tの英語はそんな
大人たちとは比べようもないぐらい発音もきれいで、
私の言うことを何でも問題なく理解した。

発音がきれいなのは聴いた音をそのとおりに発音しているからで、
大人より文法がしっかりしているのは、やはり柔軟な子供の脳の方が
吸収が早いせいだろう。

15分ぐらい話しただろうか。英語をとても自然に話せるので、
ルアンプラバーンの観光名所の話や2008年の洪水で街が
水浸しになった話など、色々と興味深い話を聴くことができた。

私がこの時に目にしていたカン川やメコン川の水位は、
乾季のため街のレベルと比べると遥かに下にあったので、
ここまで水が来るというのは想像し難いことであった。

『日本は今、桜が咲いているの?』
『桜が咲くのは4月だよ。俺が住んでいる北海道は北の端にある
 島で、寒いから5月にならないと咲かないけどね』

『桜にも葉っぱがあるの?』
『あるけど、花が咲くときにはないから、ピンクだけできれいなんだ。
 葉っぱは花が散ってから出てくるんだ』

『桜って、いい匂いがするの?』
『匂いはあんまりしないかな』

どうやら、桜にとても興味があるらしい。

『ねぇ、ラオスの花、知ってる?』
『あちこちで、きれいな花は見たけど、詳しくは知らないな』
『あそこに白い花が見えるでしょ?』

そう言って、Tは50mほど先を指さすのだが、
今一つどのことを言っているのか良く分からない。

『う~ん、どれのことだろう? 良く分からないな』
『ちょっと、待ってて』

そういうと、彼女はさっき知り合ったばかりの私の元に商品を
全て置き去りにして、駆けていった。

すぐに帰ってくるだろうと思いきや、お寺のようなところに
入って行ったTはなかなか出てこない。

T.jpg

5分ぐらい経っただろうか、両手に花をいっぱい抱えて
戻ってきた。

まだ咲く前のつぼみや、色の違うものなど、色んな花を
私に見せたかったらしい。

『ね、きれいでしょ』
『うん、それにいい匂いがするね』
『そうなの、こうして本に挟んでおくと、匂いが本に移るのよ』

T_flower.jpg

そういって、Tは私が手に持っていたLonely Planetの本に
花を挟み始めた。

lonely planet

『この花って花びらが5枚でしょ。普通は5枚しかないの。
でも、すごく稀に6枚のがあって、それを見つけると幸せになれるのよ』


そういうTに、私は四葉のクローバーの話をした。

どうやら世界中の色んなところで、人間という生き物は
似たようなことを考えて生きているらしい。


知り合ったばかりの他人である私のために、暑い中を
わざわざ走って、花を摘みに行ってくれる14歳の少女。

その純粋さに感動を覚えずにはいられなかった。

私のLonely Planet Laos版を開くと、今でもこの花の香りが
かすかに漂ってくる。

<<つづく>>









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